2006~2010のイタリア周辺やウサギやクルマや諸々の話。2018~は愛する老ワンコとインドに移住中。時々絵日記。リンクフリー。
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”エジプトの初期の歴史について調べる”それが娘の本日の宿題。
数人のグループで調査後、まとめて発表・・・というスタイルらしく
日本の小学生でのグループ学習みたいでちょっと楽しそう。
そして娘にとって世界史は、日本に帰ってもかなり有利な学習分野
かもな・・・と少し羨ましく思う。
早速パソコンに向かい、検索して調べだす娘。
今の時代はすごいよな~、インターネットで24時間あっという間に
膨大な情報が入手できる。しかもほぼ無料。
でもネットがない家庭環境の子供たちは、本屋さんで資料を買ったり
図書館に行って調べたりしてるのだろうか・・・
ふと、娘の手が停まる。
日本語で検索して情報をたくさん入手できたようなのだが・・・
歴代の王の名前のイタリア語での綴りがわからず困っているようだ。
日本語読みから予想して検索するも、なかなかヒットしないらしい。
(例・ナルメル王・クフ王)
「どれどれ、母が助けたもうぞ・・・」
そしてあっけなく次々とヒット!で母への尊敬度もアッーーーップ!!
・・・なのだが、
尊敬ポイントが
なんかちょっと違う気も・・・
ここ数日台風(嵐?)のような天気が続いたけど、
本日の夕方、ようやく晴れ間が見えてきたゾ!
先週忙しかったので、一週間ぶりの日本語レッスン。
いつものカフェで早速今回の地震の話。
彼のイタリア人の友達も被災地に何人もいるらしく、
”今日もラクイラにクルマで行き援助してきた!明日も行く!!”
と生き生きと話す若者らしい姿が印象的だった。
ちょっと疲れて眠そうだったのが心配だが・・・
そしてこういう時、色々と話したいことがあるのに・・・
ワタシは英語もイタリア語も中途半端なのがもどかしいし悔しいなあ・・・
とりあえずたくさんのイタリア人のボランティアが現地にいるらしいこと、
数はわからないがトイレや水、食料もとりあえず配給されていること、
赤ちゃんやお年寄りなど生活の援助がどうしても必要な人々は、わが町や
他の海沿いの近郊の町の観光用ホテルに一時避難しているらしいことが判明。
ただ、多くの人は被災地ながらわが町を愛するがゆえ、親戚や友人のいる
他の町への避難はなかなかしようとしないとか。(その気持ち、よくわかる・・)
例年ならこの時期パスクア(イースター/復活祭)のフェスタで笑顔の
イタリア人たちなのに、心なしか皆元気が無い・・・
それでもいつもレッスンの場を提供してくれるカフェのオーナーとは
笑顔で"Buona pasqua!"と挨拶を交わし、メーテル(仮名)はパスクアの
お菓子を持ってきてくれた。
そんな彼等にワタシたち外国人アミーコができることって何だろう・・・