2006~2010のイタリア周辺やウサギやクルマや諸々の話。2018~は愛する老ワンコとインドに移住中。時々絵日記。リンクフリー。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
なかなか昼間運転する機会が無く
専ら夜間に走ることの多い相棒。
ただ、なんかセンターコンソールが暗い。
暗すぎる・・・
普通こんなだっけ??
まあでもオペル車は乗ったことないし
きっとコレが”標準仕様”なんだよな~と自分に言い聞かせていた。
ん~・・・
いや、やっぱ暗い・・っつか暗過ぎだよね?
・・・普通と違うよね?やっぱ。
折りしも某コミュニティで知った衝撃の事実。
その辺の電球が切れてるだけらしい・・・
(しかも中古で買うとほぼデフォらしい・・・)
明日給油と洗車して電球買ってこよう!
(取り付けが面倒そうだけど・・・)
しかし。
カー用品店が無く、ホームセンターの品揃えも
涙が出るショボさのここ南イタリアの片隅では
電球さえも入手するのに苦労せねばならぬ予感・・・
嗚呼、日本は便利だったなあ・・・
PR
以前からお会いしたかったローマ在住の素敵な女性に
少しの時間だったがお会いすることが出来た。
わざわざ時間と手間をかけて
こちらの都合に合わせてくださったのだ。
しかもプレゼントまでいただいた。
(ワタシはというと”財布忘れる”というハプニングをプレゼント・・バカ)
イタリア式の礼儀である「その場で開ける」ことをしなかったことを
至極後悔したワタシ。だってすっごく嬉しい中身だったのだ。
ドアも開くし、プルバックで走る。そして何よりカワイイ。
イタリアのチョコレートメーカーもニクイね。
「たまたまショーウインドウで目が合ったので・・・」と彼女は言ったけど、
その時にワタシのことを思い浮かべてくれたことが、何より嬉しかった。
折りしもその日の夜、買い物と食事で立ち寄った大型スーパーでは
チンクエ関係の展示物が。
チンクエが当時発売された頃の新聞広告。
日付も今から50年前の刻印だ。
そしていただいたプレゼントその2の「春菊さん」。
帰宅後いそいで水をあげたらみるみる元気になった。
・・・絶対狙ってる。ゆきウサ。
(この後、ゆきの届かない上部に移動)
鍋に入れるまで無事に育てるぞ!!!
前もってネットで予約した
ウッフィツィ美術館の予約番号にある入場時間は10:15。
しかしその前に、美術館にある別の窓口で入場チケットを
ゲットしておかねばならない・・・
ややこしいのだが、予約してあるにもかかわらず、
当日入場時間より更に前の時間に行って、
チケットを入手しなければならないのだ。
なのでホテルで7時過ぎに朝食をとり
(モーニングのコーヒーがイタリアのくせにインスタントの味
だったのは憤慨・・)早めに美術館まで歩くことに。
イタリアのホテルは★4つ以上でも酷いサービスのところがある。
今回も駐車場がないなんてビックリだった。
(しかもコーヒーがインスタント・・・←しつこい)
目覚めたばかりのフィレンツェ。
おはよう!
重く古びた鉄格子の窓々。
そしてまた会えたドゥオーモとその仲間達。
今日もベッピンさんだね!
朝早くから市場の準備に取り掛かる人々。
いろんな物々を路上の屋台で売る市場もフィレンツェの名物。
そして真向かいには大きなブランド店やデパートのショーウインドウ。
クリスマスのディスプレイが見事だった。
歩くたびに出会う対照的な街の風景。新と旧。陰と陽。
フィレンツェの光と影。
やっとこ着いた、目指すウッフィツィ美術館。
前日の下見のおかげでスムーズにチケット入手。
しかしこの時間で結構なヒトの列・・・
少し時間が出来たので近くの広場のカフェで一服。
そしてポンテ・ベッキオまで少し朝の散歩。
ベッキオ橋の上から2つの橋が見えるのだが、
それぞれ違う表情なのが面白い。
こんな時間からカヌーを漕いでいるヒトもいるんだなあ。
貴金属のお店は流石にまだ開店前。
無事美術館に入り(館内は撮影禁止)いろんな名画や彫刻を堪能。
途中日本人のオジジオババ団体客に付いていたガイドさん
(昔のバスガイドさんのような語り口)の説明をコッソリ聞きつつ
(これが結構よくて、ガイドブックにも載ってないような絵画の
説明を聞くことができた。解りやすかったし・・・)大した混雑も無く
サクサク周れた。
ただ、残念なのはガイドブックに載ってる絵画や彫刻を
全部見ることが出来なかったこと。
他の場所に移動したのか修復中なのか、とにかく少なかった。
途中の回廊で、唯一写真撮影が許された場所から見下ろす。
館内から眺めるポンテ・ベッキオと美術館の下の広場。
当時のフィレンツェの財閥、メディチ家の人々は
こうやって回廊から街や人々を眺めていたのだろうか・・・
美術館の最後はカフェとお土産屋さん。
カフェで寛いだ後、併設されている中庭のようなテラスに出ると
眼前にヴェッキオ宮の時計台が。
美術館を出てブラブラ街を歩く。
とてもいい天気になり、今日2度目のドゥオーモはまた違う表情だった。
市場でストールを買い(フィレンツェは毛織物業で発展した街)
いろんなお店を楽しみながら駐車場へ向かった。
フィレンツェ駅前ではWiiの体験スペース?!が。
若者達が興じていて、見ているだけで面白かった。
駅構内もちょっとブラブラ。
ユーロスターが停まってた。
乗客が走る走る!!
線路とホームの段差がすごく低くて、乗り越えて向かいのホームに
走る姿も度々見られたが・・・危ないなあ。
家族の体調と帰りのことも考え、早めにフィレンツェを離れ
ゆっくり帰ることに。
「ナビによると、帰りは高速じゃなくて下道のほうが早そうだ」と
相方がナビを信じたのが間違いだった・・・
日本的な田舎の山の風景に思わずため息。
綺麗な川もあるね・・・綺麗・・・などと喜んでいたのも束の間。
あやしい九十九折の山道が続々と・・・
ゆっゆっ・・・雪ーーーーー!!!
・・しかもここで相方のハードなハンドル捌きに娘がダウン。
ワタシもやや気持ちが悪くなり、休憩をとることに。
この町、何処ですか???
ものすごく寂れてますが・・・
道路沿いの駐車場に停め、近くにあった崖の上のバールに寄る。
そこにあった店の名刺でこの町が”San Benedetto”だとわかった。
イタリアに住む人々ならピン!と来るかもしれない名前。
そう、それは数ある水メーカーの中のひとつ。
(うちはガスなしの水しか飲まないので特に知ってた)
この町の水が実際汲まれて売られているのかどうかはわからないが
売ってる水の名前に使われるくらいだから、綺麗な水源なのかもしれない。
そんな感じでタブンもう来ないかもしれないけど有名な町?に
偶然とはいえ立ち寄ったのだが、この町の規模からしておそらく
アジア人は住んでいないであろうと推測できるのに、他の田舎町
のようにジロジロガンミされなかった(しかも優しい笑みまで
返してくれた・・・)ことはかなり驚き、嬉しいことだった。
そんなこんなでわが町に辿り着いたのは20時頃。
ちょうど夕食時だったので、前から気になっていた家の近くの
アルゼンチン料理店に行ってみることにした。
行ったことがある友人によると「スゴイ肉の量だ」とのこと。
まあとりあえず食べてみましょうと一人一品頼んでみた。
(メニューで最低量が300グラム、平均が500グラムという
表示がちょっと気になったが・・・)
前菜に、メニュー上に写真のあった揚げ餃子のようなものを注文。
中身はミンチと野菜?で本当に揚げ餃子みたいだった。
おいしかった。
そしてメインの肉。
(アルゼンチン料理は肉中心)
どーん!!!
肉の上にまた肉が乗ってるよ・・・
そして相方が頼んだ揚げカツプレート。
どどどーん!!!
・・ポテトはみ出てるよ・・・
つかこれホントに一人分・・・???
結局大人3人(うち男2人)+子供1人で食べきれなかったことは
言うまでもない。
おそるべし、アルゼンチン人。
結論:マラドーナの体格は食事のせい。
そういえばフィレンツェの夜もTボーンステーキを食べた
相方たち。しばらく肉は見たくない・・と言っている。
そして数日後、義理兄は出張先のヴェトナムへ帰っていった。
(兄からヴェトナムの色んな話を聞いたので、それも少しづつ
これから書いていこうと思う。イタリアとヴェトナム・・意外と似てるかも)
体力と時間の問題で、結局空港までタクシーで送ったのだが
わが町のタクシー会社の契約条件?みたいなのがあって
空港まで行っても結局帰ってこなければならないので
帰りは客がいてもいなくても料金は均一なんだそう。なので兄と一緒に
みんな空港までタクシーに乗っていき、そのまま帰ってきた。
途中SAに寄ってもらうだけで、空港での自由時間は無いが
それでも往復約600キロの距離・6時間の拘束時間を考えれば
300ユーロ弱という金額はイタリアならでは、だろうか。
(日本でその距離をタクシーを使って5万円弱で往復できるとは思えない・・・)
もう少しローマが近ければなあ。