2006~2010のイタリア周辺やウサギやクルマや諸々の話。2018~は愛する老ワンコとインドに移住中。時々絵日記。リンクフリー。
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次はランチ休憩も兼ねて、ピサの真横に位置するフィレンツェへ。
フィレンツェの中心地は日曜日ということもあり混雑するので
時間との兼ね合いもあり、今回はまだ訪れたことの無い
フィレンツェの片隅にあるミケランジェロ広場に行くことにした。
(2006年の冬のフィレンツェはコチラとコチラとコチラ)
なるべく混雑を避け、フィレンツェの横?の小さな町から
フィレンツェに入る。
広場へは比較的スムーズに行けそうだ。
駐車場そばのホットドッグスタンドでランチ。
あんまり美味しくなかった・・・
(正直、イタリアのウインナーは大体美味しくない・・・)
スタンドのおじさんが友達だというライダー達の写真等がいっぱい。
ツーリングの帰りとかに、きっとみんなでここに立ち寄るんだろうな・・・
広場自体はおなじみミケランジェロの「ダビデ像」(もちろんコピー)
を中心にしただだっ広い場所。
今日は音楽関係のイベントがあるようで、スタンド等の設備が
セッティングされており立ち入り禁止区域が・・・。
フィレンツェの街中でよくみかける『3本足』の街頭。
何か意味があるのかな???
この広場からはフィレンツェの町並みが一望できる。
ポンテベッキオとアルノ河が綺麗・・・
街中から歩いてここに来るヒトもいるようだ。
朝焼けの時間帯が素晴らしいらしい・・・
フィレンツェにはまた来るだろう。
次回はもっとゆっくり見て歩きたい。
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今朝、福岡は博多で仕事中の父よりメールが入っていた。
事務所のそばを”山”が通ったとか。
そしてナイスなタイミングで今年”山”を担ぐ友人から立派な舁き山
(飾り山と違い、これを実際担)の写真が届いた。
人形表題「義仁勇在武士魂/ぎじんゆうありもののふのこころ」
立花宗茂
永禄十年(1567年)大友家双璧の一人高橋紹運の長子として
筑前岩屋城にて誕生。幼名を千熊丸と称する。
幼少の頃から豪胆にして武芸に秀で、更には思慮深い面を併せ
持っていたといわれる。
15歳の時に、もう一方の双璧立花道雪の婿養子となる。
〈中略〉
その後、肥後の国人一揆・小田原の役・朝鮮の役と活躍するも
関ヶ原の戦いで秀吉への恩義に報いるべく西軍についたため、
所領を召し上げられ開城するに至る。
柳川を去る時に領内の百姓が「私共の忠義もお侍方に劣るものではない!
兵糧米も献上させてもらうのでどうか開城は思いとどまっていただき
たい!」と涙ながらに訴えたという、領主として民政も充分行き届いて
いた事を示す逸話も残っている。
その後、20名程の部下と共に浪々のみとなるが、家康の目にとまる
ところとなり五千石の御書院番頭に始まり、奥州棚倉一万石、遂には
開城から二十年後、二代将軍秀忠から旧領柳川再封を申し渡される。
寛永十九年(1642年)七十六歳で江戸にて没す。
忠義にして剛勇、仁の心を兼ね備え、関ヶ原の戦いで西軍に加担し
改易されながらも、唯一旧領に帰り咲いた奇跡の武将である。
こんな”山”の説明もきちんとつけてくれた。
数少ない生粋の九州「侍」男子である友人よ、有難う。
今年は一番山しか謡えない「祝いめでた」を
是非大空へ響かせてくれ。
博多山笠
クライマックスは日曜日の朝5時からはじまる「追い山」。
台風が近づいているのでとても心配だが
どうかどうかこの世のいろんな憂い事を吹き飛ばすべく
博多の山々よ、力の限り走り抜けてくれ!!
追記:
その後、九州「侍」男子から貴重なブツを飛ばしていただき、
27日に無事届いた。
伊太利で辛いことがあったら、これを握り締めてガンガるっす!
有り難う!!!
一夜明けて、再び斜塔エリアへ。
・・・昨夜と違って活気が。
馬車もいっぱい。
うわー!!!斜塔のてっぺんもヒトいっぱい。
つか、暑そう・・・(昨日の夜に行っといてよかった・・・)
朝、具合悪くて寝てたので、珈琲が飲みたくなり
道端のカフェで人間ウォッチング。
ナイスなTシャツ・・・漢字は読めませんけど。「蠍」っぽい?
そして昨日撮り損ねた「お約束」写真を・・・
ふと気配を感じて振り向くと、そこにはブロンドの少年が
同じことをやらかしていた。
バンコク共通の「お約束」だったか。
ヒト、多い・・・
斜塔や教会のこのエリアは城壁にぐるりと囲まれている。
しかも歩けるようだ・・・
・・・一日コースだったらやだな。
今日中に帰らねばならず、あまり長居はできないのでサクっと見学。
十字架のカタチの教会(大聖堂)では、丁度日曜日のミサが
行われていて、美しい賛美歌を列席者が歌っていた。
そして写真撮影は厳しく禁止。
教会の天井の金細工が見事だったんだけどな・・・
フィレンツェで有名なメディチ家の紋章がしっかり入ってた。
そういえば、外の壁にも所々にメディチ家の紋章がある。
次は一番奥の洗礼堂。ドーム状の見事な建物だ。
階段があり、上へ登れるようだ。
斜塔と似てるな・・・
上から下を見る。
と、八角形の壇上に”アンジェラ・アキ似”の女性が入り、
イキナリ声を響かせ始めた。
・・・ラッキーだった。
携帯のボイスレコーダーで撮ったのでちょっと音質が悪いかもだけど
少しでも伝わるかな。
売ってるお土産もなかなか面白かった。
さて、そろそろ南下しなくちゃ。
城壁をくぐり、外をぐるりと走る。かなり大きく長い。
???なぜに戦闘機?!?!(空港ではなく道端で・・・)
そしてやはりピサの信号機はカワイそうな扱いなのであった。
(木に負けそう・・・)
フィレンツェとサンマリノへ続く。
Fiat500の聖地を名残惜しげに立ち去り、一路ピサへ向かう。
途中、避暑地で有名なジェノバを通る。
地中海も綺麗だな・・・またゆっくり訪れたいな。
ピサはガルレンダから約200キロほど南下した地中海側の小さな町。
フィレンツェからほぼ真西に位置する。
「ピサの斜塔」で超有名な町だが、他には何も無い。
ここで今夜は休憩兼ねて宿泊し、また数百キロ南の我が町へ
向かわねばならない。
着いたのは20時をまわる頃。
それでも日没までにはまだ時間がありそうだった。
街中の信号機・・・
標識に隠れまくってますがいいのか?
斜塔は人気があるので(特に今日のような週末は)前もって
チケットを買いにいったほうがよいと判断し、ホテルに荷物を
置いた後スグに塔のそばの受付へ。時計がなんかイイ感じ・・・。
そこで驚くべき事実が!
・・・なななんと!!この時期は23時まで斜塔に登れるらしい。
ワタシたちは20時30分の入場。
チケットと一緒にいろんな言語のガイドブックをもらうのだが、
日本語のページもちゃんとあった。
それだけ日本人観光客が多いのね・・・。
夕日を受ける斜塔。
本当に傾いてる・・・見れば見るほど・・・
青い矢印が入り口。
人数の制限があり、見学時間も30分以内と決められているため
小さな子供は入れないようだ。
さっそく突入。
せっまっ!!!!
そして結構な傾斜!!!!!
おまけに大理石の階段のため、つるつる滑る。
下からヒトがどんどんくるし、ヒト一人分しか空きがないので
立ち止まるわけにもいかない。
そして、傾いてるせいで変な気分・・・
とりあえず、塔の上にたどり着いた。
大きな鐘楼がいくつかある。
そしてナント!まだ上に登れるらしい。
マジ・・・?
この階段・・・
ビビりつつも登頂!!
・・・すごい!!!
夕日が綺麗だし涼しいし・・・この時間で正解かも。
夜景も綺麗かもしれない。
この隣の建物は、空から見ると十字架のカタチのようだ。
↓入り口付近にあった看板の図。向かって右側の小さな赤丸が斜塔。
さっきの鐘楼を上から臨む。
ちなみにこの高さだが、
簡単に超えられそうな柵がちょこっとあるだけ・・・
時間も無いのでそろそろ降りる。
相方が後ろより撮影。
こんなに狭い階段なのだ。
下の入り口には、すでに次の順番の人々が並んでいた。
斜塔と隣の十字架の建物の周りの芝生には、
スプリンクラーが水をまいていた。
寝転んでいた人々は大慌てで走り去る。
さっき見た大きな鐘楼が時を告げた。