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☆2006年10月~南イタリアの アブルッツォ州vasto在住。 生まれてはじめての海外生活 に日々マイペースで奮闘中。
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2006~2010のイタリア周辺やウサギやクルマや諸々の話。2018~は愛する老ワンコとインドに移住中。時々絵日記。リンクフリー。
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ある日、メーテル(仮名)が言った。

”どうして日本人は「死」について考えるのか?”


事の発端は、ムラカミハルキの小説について・・・だったと思う。
とある国・民族の人間や生命そのものに関する考え方は、国や民族が
持つ歴史や文化や宗教に源を発するところが大きいだろうと思うし、
それを短い時間で説明するのも理解するのも難しいだろうと思い、つい
ワタシは端的にこう言ってしまった。

”ヒマだから・・・じゃない?”


誤解を生む言い方だったかも・・・と反省しているのだが、つまりワタシは
日本人には「死」について考える心(頭?)の領域があるのだ
いいたかったのだ。そのための土壌と時間もあるのだと。
明日生きるのに必死なヒトは「死とは何か・・」などとあまり考えない
のではないかと思う。死よりも生について考えることが頭の大部分を
占めるからだ。そしてそれは死後のことについてどのように教育されて
いるか(時に宗教)とも関係していると思う。

以前イエメン?の武装集団に拉致された日本人男性が、捕縛されている
最中に彼らに映画「おくりびと」の話をしたら、とても興味深そうに聞いて
いたらしい。



***



そしてある日、従兄弟が話してくれた興味深い話。

世界中の人間を対象に、あるテストをした。
それは言葉を使わず、ジェスチャーのみで自分の意思を他のヒトに
伝える
というもの。

例えば、”ワタシはパスタが食べたい!”と意思表示したい場合、
ほとんどの人間は、まず自分を指差し、パスタを表現し、それを食べる
仕草をする
のだという。つまり世界中の人間が自国の言葉を使わない場合

S(主語)+ O(目的語)+ V(動詞)

の順番での身振り手振りで意思表現するらしい。
そしてこれは世界的に多い欧米語ではなく日本語の文法そのものなのだ。



いずれにしても日本や日本語って本当にスバラシイ。














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