2006~2010のイタリア周辺やウサギやクルマや諸々の話。2018~は愛する老ワンコとインドに移住中。時々絵日記。リンクフリー。
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今朝、福岡は博多で仕事中の父よりメールが入っていた。
事務所のそばを”山”が通ったとか。
そしてナイスなタイミングで今年”山”を担ぐ友人から立派な舁き山
(飾り山と違い、これを実際担)の写真が届いた。
人形表題「義仁勇在武士魂/ぎじんゆうありもののふのこころ」
立花宗茂
永禄十年(1567年)大友家双璧の一人高橋紹運の長子として
筑前岩屋城にて誕生。幼名を千熊丸と称する。
幼少の頃から豪胆にして武芸に秀で、更には思慮深い面を併せ
持っていたといわれる。
15歳の時に、もう一方の双璧立花道雪の婿養子となる。
〈中略〉
その後、肥後の国人一揆・小田原の役・朝鮮の役と活躍するも
関ヶ原の戦いで秀吉への恩義に報いるべく西軍についたため、
所領を召し上げられ開城するに至る。
柳川を去る時に領内の百姓が「私共の忠義もお侍方に劣るものではない!
兵糧米も献上させてもらうのでどうか開城は思いとどまっていただき
たい!」と涙ながらに訴えたという、領主として民政も充分行き届いて
いた事を示す逸話も残っている。
その後、20名程の部下と共に浪々のみとなるが、家康の目にとまる
ところとなり五千石の御書院番頭に始まり、奥州棚倉一万石、遂には
開城から二十年後、二代将軍秀忠から旧領柳川再封を申し渡される。
寛永十九年(1642年)七十六歳で江戸にて没す。
忠義にして剛勇、仁の心を兼ね備え、関ヶ原の戦いで西軍に加担し
改易されながらも、唯一旧領に帰り咲いた奇跡の武将である。
こんな”山”の説明もきちんとつけてくれた。
数少ない生粋の九州「侍」男子である友人よ、有難う。
今年は一番山しか謡えない「祝いめでた」を
是非大空へ響かせてくれ。
博多山笠
クライマックスは日曜日の朝5時からはじまる「追い山」。
台風が近づいているのでとても心配だが
どうかどうかこの世のいろんな憂い事を吹き飛ばすべく
博多の山々よ、力の限り走り抜けてくれ!!
追記:
その後、九州「侍」男子から貴重なブツを飛ばしていただき、
27日に無事届いた。
伊太利で辛いことがあったら、これを握り締めてガンガるっす!
有り難う!!!
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