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☆2006年10月~南イタリアの アブルッツォ州vasto在住。 生まれてはじめての海外生活 に日々マイペースで奮闘中。
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今ツイッターなるものが流行っている?らしい。
友達の話題やニュースやネット上の色々な場面で出会う。
とある事情?があって、実は自分も登録だけしているのだが
時間も無いし、なんとなく遠巻きに見ているだけである。

さて、そんな本日。
リンクにも貼っている糸井重里氏のサイトにこんなコラムが
書かれていた。ちょっと長文。でもなんてタイムリー。




***



<ツイッターの初心。>

ツイッターというものをはじめて、
だいたい2週間が過ぎた。

赤ん坊がひとり生まれたようなもので、
それ相応の忙しい感じにはなる。
授乳やらおむつの取り換えをするわけじゃないけれど、
とにかく目をやっていることが必要なので、
そうそうはラクなもんじゃない。

目をやっているということは、
つまり「生きているか死んでいるか」を見張ってることだ。
ぼくは金魚やら小鳥やらを飼って、
無責任に死なせてしまった経験がある。
元気で生きていると決めつけて、
目をやってない時間が長くなると、生きものは死ぬ。
そりゃ、あらゆるものごとが、そういうものだ。

目をやってない時間が長くなると、(  )は死ぬ。

(  )のなかに、どんなことばでも入れたらいい。
愛情でも、組織でも、団結力でも、お菓子でも、
ホームページでもブログでもツイッターでも‥‥だ。

ぼくは、ツイッターを生んでしまったのだから、
なにかの理由でやめるまでは、
とにかく目をやっていることにしているわけだ。
生きているようにしなきゃいけない。
そうすると、じぶんのツイッターが生きるために
なにが必要なのかなんてことも、考えることになる。

栄養がいるんだな、いのちだからね。
その栄養ってものは、「ことば」なんだね。
そう思った。
で、「ことば」をたやさないようにした。
「花に水、妻に愛。」のたとえもあるさ。
ツイッターには「ことば」だ。

ただ、「ことば」にしてもいろいろあるわけで。
「わたしは、いま学校へ行く」ということばもあるし、
「汝自身を知れ」もあるわけだし、
「りんごの気持ちが、いま、わかった」だってある。

「わたしは、いま学校へ行く」については、
その「わたし」がめずらしい人である場合は、
ニュースになる。
また、そこで語られる学校というのが特別だったりすると、
これまたニュースになる。
しかし、「わたし」も「学校」もめずらしくない場合は、
人が読む理由はとても薄くなってしまう。
「見ず知らずの人が、なにかをしている」というのは、
本人やその友だちにはなんらかの意味があっても、
他の人が読みたいとは思いにくいだろう。

ぼくとしては、ほんの少しでもいいので、
「いまここに書かれている」ことが、
誰かしらとコミュニケーションするタネになるようにと、
そういう場にしようと思った。
微小なアイディアでもいいし、
見えるか見えないか、チリほどの感動でもいいし、
いま感じたばかりの新鮮な感想でもいい。
「読んでなにを思うこともできない」ことは、
やめておこうと思ったのだった、ぼくはね。
そうしないと、わざわざやる気にはならないから。
(だいたい、手帳にだって
 「なにか」があることを書くだろ?)

「つぶやき」という言い方を、
避けたのはそういう理由が大きかった。
「つぶやき」には、「ひとりごと」の意味がある。
「ひとりごと」は、ひとりで完結してしまうので、
コミュニケーションの相手を探さなくてもいい。
ツイッターが、「つぶやき」なんだと思ったら、
「学校行こうかな」でも「さて‥‥トイレに」でもいい。
もちろん、なにがいいとか悪いとかもないわけだが、
みんなが本気で「ひとりごと」を言い合ってる場所に、
ぼくは立つ気になれなかった。

少なくとも、じぶんの「あたま」なり「こころ」なりを、
いったん経過した「ことば」を使うようにしようと思った。
しかし、作品を生み出すとか、仕事をつくり出すような、
重さとか用意とかは、別のメディアですればいい。

作品が「うんこ」という比喩で語れるなら、
ツイッターでぼくがひりだす「ことば」は、
「かたちになるかならないかわからないうんこ」だから、
「おなら」のようなものだろうと思った。
他人に多少の迷惑をかけたり、
「くせぇな」とばかりに、
匂いのコミュニケーションを引き起こすという意味でも、
この比喩でいこう、と。

それに、「おなら」の喩えは、
「たいしたことないもの」にぴったりだ。
「声はすれども姿は見えず、ほんにおまえは屁のような」
ぼくのツイッターのコンセプトは決まった。

じぶんの性質のなかにあるしょうもない幼児性のせいで、
とにかく「おならぷー」を言いまくった。
どんなことを言おうが、「ぷーぷー」付け加えると、
「たいしたことないもの」の目印になる。
また、ぼくは
「つぶやき=ひとりごと」を言うつもりはないんだ、
ということをいちいち説明しなくてすんだのではないか。
あいつは「つぶやき」じゃなくて
「おならぷー」なんだなとわかってもらえるように思った。

ぼくとしては、本名で「おならぷー」をしているので、
「ほぼ日」でいろいろ書くときよりも、
自由にやるつもりだった。
ちゃんと言えるようになってから言うのでなく、
それこそ、ぷーっと出ちゃった「ことば」を、
そのまま送信しましょうと考えた。
そのためにも、最初に「自己紹介」のスペースを利用して、
以下のようなことを記した。

~こんな姿勢でやっていこうと思います。
<みんななかよく5つのやくそく>
1 とげとげしいことばは、なしよ。
2 だれがただしかろうが、なにがただしかろうが、
ただしくないことも、ありよ。
3 やすみたいとき、やすむのありよ。
4 だまっていたいときに、だまっているの、ありよ。
5 be たのしくね。~

「みんななかよく5つのやくそく」ということばの、
いちばん重要な部分は「なかよく」だ。
「みんな」も「5つ」も「やくそく」も大事だけれど、
なによりも大事なことは「なかよく」だ。
「なかよく」していれば、ここに集う気にもなる。

「5つのやくそく」と言ってるのに、
4つしかないですということを言う人がいた。
「ただしくないことも、ありよ」だからではなく、
ちゃんと「5 be たのしくね」と言ってるではないか。
これも、やくそくなのだ。
たのしい状態であれ(be)ということだ。

ここまでが、はじめる前に思っていたこと。

そして、はじめてからわかったことひとつがある。
「おまえはだれだ?」の答えが、
いちおう見えるということだ。
たとえば、いやな例だけれど、
じぶんの「ツイート」に、
ずいぶん失礼な「ことば」が投げられたとする。

「ばーか。おまえなんか死んでしまえ!」
ま、こんな単純な悪意もそうはないけれどね。
これを読まされたら、
その発言者のホームに行ってみることがすぐにできる。
それがどこのだれなのかわからなくても、
これまでに、どういう発言をしてきたのかの記録が読める。

彼の友人と待ち合わせしているツイート、
他の人に毒づいているツイート、
夜中に落ち込んでいるツイート‥‥。
名前も住所もわからないけれど、
彼がどういうことをまさしく「つぶやいてきた」のかは、
ある程度みえてくるわけだ。
どんなふうな人間が、どういう風の吹き回しかで
「死んでしまえ!」と言ったのだと知ると、
言われたことの腹立たしさが、すうっと薄まる。

暗闇から石を投げたり、刃物を突き出したりする者が、
人間であり、それはそれで生活がある
ということを知れるのは、
ほんとうにありがたいしくみだと思う。
これは、投げられた本人ばかりでなく、
石が投げられたのを横で見ていた人が、
その石を投げる者の素性を知れるということで、
ある程度、冷静な判断がしやすくなるということでもある。

ツイッターというもののしくみは、
参加している人たちの
「環境」どうしをつなげるものらしい。
孤独な「見えない人間」のままではいられないしくみが、
ぼくには、とても新しく感じられる。

あとは‥‥中毒問題かなぁ。
目の前に人がいなくても、
「おならぷー」をしたり、嗅ぎ合ったりしているのは、
くせになるからなぁ。
たぶん、ツイッターを、ノートによくあるような
「自由帳」として使って、
そこに書いたことをタネにして、
広くだったり、深くだったり、おもしろくだったりに、
発展させていくのが、ぼくの使い方になるのかなぁ。

とにかく、まだしばらくは、
おなら大魔王として、ツイッターに
ちゃんと「目をやっている」ことと思う。
つまり、「ことば」という栄養をあたえ続けるだろう。
むろん、ただの「おならぷー」なんだけど。


いやぁ、まだ初心者の初心だからね。
なんにもわかっちゃいないのかもしれない。
でも、あとあとじぶんで考える材料にもなるだろうし、
こんな幼稚な感想などを書き留めておきます。




***



とまあ、糸井さんらしい、ほっとする切り口ですぱっと書かれている。
読んでいて途中、ふと大好きなサイバラさんの言葉を思い出した。

「不特定多数のヒトに振り向いてもらおうと思ったら
面白いか役に立つかのどっちかの情報を提示するしかない。
このふたつ以外はヒトは振り向かない。」

うーん、唸ってしまった。
糸井さんの文章を読んでも思ったんだけど、言葉を仕事にしてるヒト
ってのは、やっぱりまず”考えありき”なんだ。
そしてその言葉はあまりにもストンと心に入ってくる。

でもそれはホントは一般のヒトも同じで・・・
言葉を使うシステムを使う以上は、それ相応の覚悟っていうか
それ相応の”考え”があるべきで、こういうことをするからには
こういうこともあるだろうっていう、ある程度の予想をする必要があると思う。

ワタシも一回だけミクシの”つぶやき”を使ったけど、それはなるべく
新しい情報(しかも口コミ級の)が欲しくて、そのためにこの方法は
有効だろうって思ったから。そしてそれに対する反応に対しては、
とにかくマメに行なおうという覚悟みたいなものがあった。
(それは糸井さんが書かれている”目をやる”ってことかもしれない)

でも、その”言葉の世話”の覚悟を続ける自信ってものが、なぜだか
なかなか沸かない。使ってみたいし、情報の海に飛び込んでみたいけど・・・
今の自分ではただただ言葉の波に翻弄されて溺れる気がする。
だから滅多なことでは使わないだろうなと思う、今は。

ほとんどのヒトはそこまで考えてやり始めないんじゃないだろうか。
とりあえず、深く考えず、自分の好きなように・・・
だから時々問題が起こったりもするんじゃないかな。

悪いのはシステムじゃなくて使うヒト。
でもそれを救ったりシステムを構築するのもヒト。
とりあえずワタシはもうしばらく、その賑やかな場所を
遠くから眺めていようと思う。














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「無題」
一度出した言葉
相手の心にどのような形で届くのだろう。
どれだけ選んでも伝えきれないときもあれば
ぽろっと出た言葉が通じるときもある。

ツイッターはよく知らないけれど
糸井さんの5番目のルールが好きだな。
kelly 2010/05/25(Tue)13:49:48 COMMENT編集
「ルール」
言葉って難しいですよね。
時々昔のことを考えます。
言葉の存在が今と違っていた頃のこと。

ルール、ホントはみんな当たり前なこと。
わざわざ提示しなくても
わかっていて
当然なことだと思うんですけどね・・・
糸井さんのユーモアもあるかな。(笑
coniglia URL 2010/05/26(Wed)00:01:39 COMMENT編集
「うんうん。」
非常に奥が深い!!

のである!!

自分もイトイさんフォローしてるよ~(゚∀゚)
Fujiomi 2010/05/26(Wed)10:01:01 COMMENT編集
「おう」
fujiさん、糸井さんフォローしてるんだ!
ワタシはほぼ日のコラムくらいしか
見てないけど・・・勉強になるよね。
物事の捉え方とか文章の書き方とか・・・

ツイッターは試しにちょっこし覗いて見たけど
あまりの情報量にクラクラしました。(笑
coniglia URL 2010/05/26(Wed)21:47:05 COMMENT編集
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