2006~2010のイタリア周辺やウサギやクルマや諸々の話。2018~は愛する老ワンコとインドに移住中。時々絵日記。リンクフリー。
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昨日の夕方、娘の小学校に出向いた。
学期末の先生方との懇談があるらしい。
苗字のアルファベット順に時間が決まっていて、ワタシたち親子は18時から。
キッチリの時間に着いたのに、まだ数家族が教室の前に列を作っていた。
30分以上待ってやっとワタシたちかと思いきや
(他のイタリア人紳士や先生が”あなた方の番ですよ”と
頷いたり合図をしてくださったのに)
苗字がVの家族が割って入り「ワタシたちは18時の約束だった」
とさっさと教室に入ってしまった。
・・・ワタクシたちも18時なんだがな。
仕方なくまたしばらく待って、ようやく呼ばれたのが、結局19時。
(今度から絶対時間通りに来ない、来ないぞ!)
先生は娘をベた褒めで、「イタリア語は大丈夫でしょうか?」
「何か問題はありませんか?」との問いにも「問題ない!」
「素晴らしい!!」と褒めるばかり・・・
そして「イタリアの子供って声高で騒がしいけれど、
日本の子供はみんな声がアルト(低音)でトランクイッラ(物静か)なの?」
と真剣に聞いてきたので
「いやー、日本の子供も声高で騒がしい子はいますよ~いっぱい。」と答えた。
それって国の違いというよりも、個人的な違いじゃないかと思うのだが・・・
そういえばその日のイタリア語のレッスンで、イタリア語にも湾曲な表現がある
ということを習ってちょっとビックリした。
「昨夜何してた?」と直接聞くのではなく
「昨夜なにかいいことがあった?」という風に聞く、と。
(・・・実際どのくらいのイタリア人が使うかどうか不明だが・・)
時々イタリア人から色々と尋ねられるが、質問は極めてストレートだと思う。
レッスンの先生と友人と学校の先生に、この日偶然3回もこの言葉をいった。
「イタリアでは”良い、悪い”をハッキリ聞いたり答えたりすると思うけど、
日本ではたとえ”悪い”と思っても”まあまあ”って曖昧に答えてしまうような
ところはありますね。」
そう答えた後、みんな一様に頷いていた。
でもその割りに「cosi(e)cosi」と答えると、いつも怪訝な顔をするイタリア人。
場合によっては「なんでだ?!」と迫ってくる。
なので最近ワタシは”まあまあ”という表現を極力いわないようにしている。
しかし不思議だ。
イタリア人は人間臭くて日本人はロボットのようだというけれど
ヒト独特の曖昧さを愛しているのは日本人のほうだ。
そしてワタシは紛れも無く、曖昧さを愛する日本人なのだ。
*** おまけ ***
このナターレ(クリスマス)の時期、イタリアの男女は
赤い下着を贈りあうらしい。
ランジェリーショップはもちろん、色気の無いスーパーの
売り場でさえこんな感じで赤い下着(しかも男性用)が並ぶ。
う、売れるのだろうか・・・
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